ペンギン先生のブログ

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Youtubeでの新たな挑戦-新チャンネルの運営開始

ペンギン先生 『現代口語文法』講座

私が2020年1月に解説した『ペンギン先生 ドイツ語チャンネル』ですが、おかげさまでチャンネル登録者数が4,000人を超えました。

 

いたって地味なドイツ語解説動画が当時は少なく、たくさんの方にご視聴いただきました。心の底から嬉しく思います。

 

Youtubeへの挑戦は、自分にとっても大きな成功体験となりました。
Youtube動画の配信を始めた当初、周囲の人から「だれがお前の動画なんて見るんだ」「なにを発信することがあるんだ」「Youtuberになれるとでも思っているのか」とさんざん言われました。
そんな周囲の冷めた意見をよそに、毎日着実にチャンネル登録者が増えていき、開始から1年4か月後に1,000人を突破しました。この時の感動は言葉では言い表せないものがありました。
Youtubeはチャンネル登録者がたくさんいて、動画の再生回数が上がれば大きな収益を生みます。そういう人はインフルエンサーと呼ばれる方々ですが、私のようなYoutuberは”底辺Youtuber”という、あまりいただけない名前で呼ばれることがあります。
しかし、Youtubeをやることは収益を受け取る以上の満足感といいますか、やりがいのようなものを感じます。
自分が「こうだ!」と思って制作・配信した動画がたくさんの方に見ていただけると、金銭には換算できない喜びを生みだすものです。
興味のある方はぜひ挑戦することをお勧めします。

 

さて、結構なチャンネル登録者を有する『ペンギン先生 ドイツ語チャンネル』ですが、ひとつだけ欠点があります。
それは、名称が『ドイツ語チャンネル』だけに、他のテーマの動画をあげにくいのです。
私はもともとドイツ語講師ではなく、ドイツ文学やドイツ語学を修めた者でもありません。
1990年4月に東京都内にある私立大学の経済学部に入学すると、すぐに家庭教師のアルバイトを始めて指導経験を積んできました。日本だけでなく、ドイツの学習塾で専任講師として帰国子女受験対策をしていたこともあります。
そうした指導経験を活かした動画の配信もしたいと思ってきましたが、いかんせん『ドイツ語チャンネル』にはあまりにも適性が悪い。

ということで、思い切って新しいチャンネルを開設しました。
このblogで『現代口語文法』の解説動画をリンクしていますが、リンク先のYoutubeチャンネルは『ペンギン先生 ドイツ語チャンネル』ではありません。
新しいYoutubeチャンネルの名称は『ペンギン先生 学びチャンネル』です。
もう一度ゼロからのスタートでチャンネル登録者数1,000人を目指します。

 

このチャンネルをご覧になった方ならばすぐに気づくはずです。「このようなチャンネルなら他にもある。さすがに1,000人に届かせるのは無理ではないか」と。
仰るとおりです。
そこで近日中に新しい動画を公開します。おそらく今まで誰もやっていない試みです。
私の基本戦略は動画の美しさやサムネのインパクトではなく、「だれもやっていない市場を開拓して先行者優位を目指すこと」、すなわちブルーオーシャン戦略を実践することにあります。
これが上手くいけばチャンネル登録者数1,000人も夢ではないと思っています。

今年の新たなチャレンジと夢の実現に向けて努力します。
これからも末永く応援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

連体詞とは?

今回のテーマは連体詞です。読んで字のごとく「連体修飾する品詞」です。

 

定義づけすることから始めます。

連体詞とは、自立語で活用がなく、それ自体で名詞を修飾する連体修飾語になることのできることば

のことをいいます。

動詞・形容詞・形容動詞にも連体形があるので、名詞を修飾することができます。しかし、これら用言には活用があるのです。
連体詞には活用が無いので、これが品詞判別の重要なポイントとなります。

では連体詞の具体的な例とはどのようなものでしょうか?

・飛ぶ鳥 ☞ 「飛ぶ」は動詞の連体形

・広い庭 ☞ 「広い」は形容詞の連体形

・華麗な技 ☞ 「華麗な」は形容動詞の連体形

ですから、名詞を修飾しているからといって連体詞と決めつけてはいけません。
はて、用言を除いたら何も残らないのでは?と思った人もいるでしょう。

今回もちょっとしたフレーズをご紹介します。
実は連体詞のパターンは決まっているのです。そのパターンを身に着けてしまえば、見た瞬間に「あっ!連体詞だ」と見分けがつくようになります。

 

ではその魔法のフレーズをご紹介します。

『たながのる』(棚がのる)

です。たったの5文字です(笑)
連体詞はタイプ別の最後の文字(語尾の文字)をとって『たながのる』でマスターします。
すなわち「た」型、「な」型、「が」型、「の」型、「る」型の5つです。

 

具体的に例を挙げながら解説します。

1.「た」型 … 大それた、たいした、とんだ(濁点化しています)

2.「な」型 … 大きな、小さな、おかしな、いろんな

3.「が」型 … わが、汝が(なんじが)

4.「の」型 … この、その、あの、どの、例の、ほんの、当の

5.「る」型 … 或る(ある)、去る(さる)、来たる(きたる)、いわゆる、あらゆる

どれも名詞を修飾することばですが、活用がないことをご確認ください。

まさか「とんだ」は「かもめが飛んだ」のような動詞とは意味合いが違いますね。
ここでの意味は、話し手の判断の範囲を越えている、ということです。

また、「大きな」と「小さな」は形容詞「大きい」と「小さい」と混同しがちです。「大きい」と「小さい」は『打たない鳴るときは』によって語尾が変化する活用語です。
しかし、連体詞の「大きな」と「小さな」には活用が一切ありません。ご注意ください。

上級者編

もう一段上級の解説をします。
それは「こんな」「そんな」「あんな」「どんな」という『こそあど』ことばです。
名詞を修飾し、活用もありませんから連体詞だと思う人が多いでしょう。
しかし、文法の難しいところではありますが、これらは「こんなだ」「そんなだ」「あんなだ」「どんなだ」という形容動詞の活用語尾が落ちてしまったものだと解釈します。
「こんなだ」「そんなだ」「あんなだ」「どんなだ」は『打たない鳴るときは』によって語尾が活用変化しますが、体言を修飾するときは「こんな」「そんな」「あんな」「どんな」とはならずに、語尾を落として語幹だけで修飾します。すなわち、「こんな」「そんな」「あんな」「どんな」となります。ここが引っ掛けポイントになっていますので、くれぐれもご注意ください。

今回の解説はここまでです。
連体詞そのものの学習は内容もボリュームも大したことがないのですが、他の品詞、特に用言や副詞との判別がポイントになります。
今回も問題プリントを用意しましたので、知識の定着と確認のためにぜひ解いてみてください。

問題プリント

16 連体詞.pdf - Google ドライブ

 

Youtubeではホワイトボードに書き込むスタイルで動画にしてあります。
こちらもどうぞご覧ください。


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副詞

用言の解説が終わったので、これからは活用のない自立語を解説していきます。
すなわち、副詞、連体詞、名詞、接続詞、感動詞の5つの品詞です。
今回は、副詞の解説をします。

 

そもそも副詞って何でしょうか?

「副(ふく)」という言葉には「助ける」という意味があります。
副詞もその名のとおり、「ほかの言葉を助ける」役目をする品詞です。

例えば次の文を見てみましょう。

「とても寒い。」

この文では「とても」が「寒い」を強めていますね。
この「とても」が副詞です!

副詞は主に「動詞」「形容詞」「形容動詞」「他の副詞」にくっついて、意味を詳しく説明してくれるんです。

 

副詞の定義

ではいつものように、副詞を定義することから始めましょう。十品詞分類表を上から順番になぞっていきます。

 

副詞とは、主に動詞・形容詞・形容動詞(用言)を修飾し、それ自体で意味の通じる自立語で活用がなく、それを含む文節が修飾語になることができ、物事の様態や程度や呼応関係などを表すことばをいう。

 

ものごとの様態とは、すなわち様子のこと。例えば、
「私は泳ぐ」という主語-述語の関係の成り立つ文に、泳ぐ様子を伝える「ゆっくりと」を補うと「私はゆっくりと泳ぐ」となります。この「ゆっくりと」が様態を表す副詞です。

程度とは、物事の性質や価値を量的に考えたときの、その大きさや度合のことを指します。例えば、
「彼はサッカーが好きです」という主語-目的語-述語の関係が成り立つ文に、好きの度合いを伝える「とても」を補うと、彼がどれくらいサッカーのことが好きなのかを伝えることができます。これが程度を表す副詞です。

『呼応(こおう)』という言葉はたいへん興味深いです。簡単にいうと「ツーと言えばカー」の関係、もっと具体的にいうと「○○といえば、△△だ」と連想させる関係のことです。例えば、
「ドイツといえば、じゃがいもとビールとソーセージ」といった具合です。
マニアックな知識ではなく、だれもが普通に知っている関係であることがポイントです。この呼応関係を想起させる言葉もまた副詞です。
例えば、
「おそらく明日は雨が降る」と聞いたら何か違和感を覚えませんか?
「おそらく」という言葉は推量を表します。それなのに文末が「降る」と断定調だと耳にした時「あれ?」と思う。正しくは
「おそらく明日は雨が降るだろう」とすべきです。
この「おそらく ~ だろう」の関係を『呼応』といいます。そして「おそらく」が呼応の副詞と呼ばれるものです。

 

副詞の分類

副詞をその性質から3つに分類するのが一般的です。すなわち、

1.様態の副詞 … 主として動詞を修飾し、そいの動作や作用がどのような状態・様子であるかをくわしく説明するもの。

2.程度の副詞 … 主として用言を修飾し、物事の性質や様子がどのような程度・度合であるかをくわしく説明するもの。

3.呼応の副詞 … ある副詞が使われると、それを受ける述べ方が決まっているものがある。この場合の副詞を呼応の副詞という。
別名「陳述の副詞」「叙述の副詞」ともいう。

です。

4番目として指示の副詞を加える場合もあります。
4.いわゆる『こそあど言葉』の一種で、動作や行為を指示する働きを有する副詞。
具体的には、「こう」「そう」「ああ」「どう」のことをいいます。

 

具体例を紹介しましょう

1.様態の副詞

① 彼は甘い誘い話をきっぱりと断った。 ☜ 断り方を記述している

ひそひそと噂話をし始めた。 ☜ し始めた様子を伝えている

③ 社長はようやく重い腰を上げた。 ☜ 腰を上げる動作の様子を伝えている

2.程度の副詞

① 彼女はフランスが多少話せる。 ☜ どれくらいフランス語が話せるのかを記述している(動詞を修飾)

② その結論の出し方は、はなはだ疑問だ。 ☜ 疑問に感じる度合いを伝えている(形容動詞を修飾)

③ 最近体調がすこぶる良い。 ☜ 体調の良さがどの程度のものなのかを記述している(形容詞を修飾)

④ 祖母はとてもゆっくりと歩く。 ☜ ゆっくりの程度がいかほどなのかを記述している(他の副詞を修飾)

3.呼応の副詞

当然、彼もパーティーに来るはず。(断定)

② 兄は決して嘘をつかない。(否定)

③ 賞をもらってもちっとも嬉しくない。(否定)

④ そんな話はとうてい信じられい。(否定)

まさか、Aチームが勝つことはないだろう。(否定)

⑥ 今夜の月はまるで饅頭みたいだ。(比喩・たとえ)

⑦ 彼の態度はあたかも優勝したかのようだ。(比喩・たとえ)

もし雨が降ったら、遠足は中止だ。(仮定)

たとえ槍が降っても、私はその会合に出席します。(仮定・譲歩)

なぜこんなに簡単な問題が解けないの。(疑問)

どうして私の話が信じられないの。(疑問)

どうぞおあがりください。(願望)

ぜひ私どもの商品をお試しください。(願望)

どうかこの国の実情を、母国に戻ったら伝えてほしい。(願望)

⑮ こんなに難しい問題をどうして小学生が解くことができよう、いや解けまい。(反語)

4.指示の副詞

ああ言えば、こう言う

そうするのが一番良い。

③ この問題はどう解けばよいのだろうか。

 

副詞が修飾するのは用言と他の副詞だけか?

副詞は通常、用言を修飾することばと言われますが、別の副詞を修飾することがあります。

とてもゆっくりと話す」のような場合です。程度を表す副詞「とても」が別の副詞「ゆっくりと」を修飾しています。

もう一つのパターンはなんと!!副詞が名詞を修飾する場合です。日本語以外の言語ではまず見かけないパターンかと思われます。

例えば、「ちょっとに出てください」
「ちょっと」という程度を表す副詞が「前」という名詞を修飾しています。

また「ずっとのできごと」
「ずっと」という程度を表す副詞が「昔」という名詞を修飾しています。

気が付きましたか?
副詞が名詞を修飾する場合には決まったパターンがあります。それは、

・副詞は「程度を表す副詞」に限られる

・名詞は場所・方向・数量・時間など、空間的・時間的な広がりに関係のあるものに限られる

以上の副詞の修飾は非常にまれな使い方ですので、頭の隅にでも置いておきましょう。

 

擬声語や擬態語は品詞でいうと何か?

擬声語とは、動物の音声や物体の音響を言語音によって表した語。すなわち「声まね」です。例えば、

「雨がざあざあ降る」の「ざあざあ」や「犬がわんわん鳴く」の「わんわん」が挙げられます。

擬態語とは、物事の状態・身ぶりを、それらしく表した語。すなわち、動作や表情などをそれらしい言葉に置き換えている言葉です。例えば、

「赤ちゃんがにっこりとほほ笑む」の「にっこりと」や「敵の攻撃をひらりとかわす」の「ひらりと」が挙げられます。

こうした擬声語や擬態語はすべて副詞です。しかも様態を表す副詞となります。

 

副詞を作文に用いる場合の注意点

作文のテクニックの一つに、修飾語と被修飾語との関係を明確にするというのがあります。修飾語がなにを修飾しているのか分かりにくいと、文章の読み手に誤解を与えかねません。そうした失敗を避けるための工夫は「修飾語と被修飾語ははならかせておくな」です。

例えば、

「ぼくは十分に彼がクラスのみんなに丁寧に解説したことが理解できた」の文で、副詞「十分に」は何を修飾しているのでしょうか?
「十分に」は「理解できた」の程度を表す副詞です。なので被修飾語は「理解できた」となります。しかし「十分に」と「理解できた」との間が開いているので、この文は多少読みにくいです。ならば修飾語と被修飾語を近づければよいのです。

「ぼくは彼がクラスのみんなに丁寧に解説したことが十分に理解できた」とすれば、「十分に」がなにを修飾しているのか一目瞭然ですね。

副詞の使い方にちょっと気を配るだけで、格段に読みやすい文章を書けるようになります。作文のときに副詞の使い方を意識してみてください。

 

今回の解説はここまでとなります。

いつものように確認プリントを配布しますので知識を確認してみてください。

15 副詞①.pdf - Google ドライブ

15 副詞②(正誤問題).pdf - Google ドライブ

 

形容詞と形容動詞

用言の残り2つの品詞はまとめて解説します。
なぜかというと、そもそもこの2つの品詞の性格がほとんど同じだからです。
日本語以外の言語には、そもそも形容動詞なんて品詞が存在しないと思います。
外国人に日本語を教えた経験もありますが、外国人用の日本語学習教本にも「形容詞には2つのタイプがあり、一つは言い切りの形が「い」で、もう一つは言い切りの形が「だ」だ」と解説されています。
そう、外国人は「形容動詞」という言葉を教わらないんですよ。代わりに「形容詞の『い』型」と「形容詞の『だ』型」の2種類を教わるのです。
ではなぜ日本語の文法では形容詞と形容動詞を区別するのでしょうか?それは後ほど考えてみることにしましょう。


まず最初に形容詞から解説を始めます。
形容詞を定義づけてみましょう。十品詞分類表を上から順になぞっていきます。

 

形容詞とは、ものの性質や状態、人の性格などを表し、自立語で活用があり、文節の中で述語になることのできる用言で、「い」で言い切ることばのことをいいます。

 

ものの性質とは、例えば「壊れやすい」とか「柔らかい」とかいった意味です。
状態とは、「明るい」とか「騒がしい」とかいった意味です。
人の性格は簡単に想像できますね。「優しい」とか「忘れっぽい」とかいった意味です。
定義の残りは十品詞分類表から丸パクリです(笑)

 

せっかくですから、形容動詞も定義づけしてしまいましょう。品詞の性格は形容詞と同じです。「い」で言い切るところを「だ」で言い切ればよいのです。
では定義を書いてみましょう。

 

形容動詞とは、ものの性質や状態、人の性格などを表し、自立語で活用があり、文節の中で述語になることのできる用言で、「だ」で言い切ることばのことをいいます。

 

形容詞の定義づけができれば、形容動詞の定義づけもできてしまいます。

 

さあ、次は活用の種類と活用形です。
動詞には活用の種類が5つありました。そう、五段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5つでしたね。
活用形は「見よ下亀」で覚えるんでしたね。そう、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形の6つでした。
では形容詞の場合はどうなるのか?
実は超簡単です。結論からいうと、

 

形容詞の活用の種類は一つしかない。

活用形は動詞と同じですが、命令形はありません。つまり未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形の5つの形があります。

 

活用の種類が一つしかないのだから丸暗記すればいいや!と思った人は賢い。
多くの学習塾では丸暗記法を使っています。すなわち、

かろ ー かっ ー く ー い ー い ー けれ

を何度も暗唱して覚えてしまう方法です。

これでもかまわないのですが、動詞のときのように語呂合わせで覚えると形容動詞もまとめて覚えられます。メリットが大きいのでご紹介します。

 

打たない鳴る時は (うたないなるときは)

「う」「た」「ない」「なる」(「まる(。)」)「とき」「は(ば)」を形容詞や形容動詞につけて活用変化させてみる、ということです。

「たのしい」を例にとると、

・たのしい + う ⇒ たのしかろ

・たのしい + た ⇒ たのしかっ

・たのしい + ない ⇒ たのしくない

・たのしい + なる ⇒ たのしくなる

・たのしい + 。 ⇒ たのしい

・たのしい + とき ⇒ たのしいとき

・たのしい + ば ⇒ たのしけれ


以上で基本的にすべての活用変化形を表すことができます。
最初の「う」に合わせる形が難所です。ここさえ超えれば形容詞の活用は突破できるでしょう。
終止形は自分で補わなければならないですが、動詞の活用の学習が進めば問題なく理解できるようになります。まずは「打たない鳴る時は」で形容詞の語尾を変化させる練習をしましょう。

また活用形ですが、動詞の場合とちょっと違います。未然形の形が一つしかなく、代わりに連用形の形が3つあります。
以下にまとめてみます。

形容詞の活用と活用形

同様に形容動詞も考えてみましょう。「打たない鳴る時は」に対応させて活用語尾をふってみます。

形容動詞「きれいだ」を例にとると、

・きれいだ + う ⇒ きれいだろ

・きれいだ+ た ⇒ きれいだっ

・きれいだ + ない ⇒ きれいでない

・きれいだ + なる ⇒ きれいになる

・きれいだ + 。 ⇒ きれいだ

・きれいだ + とき ⇒ きれいなとき

・きれいだ + ば ⇒ きれいなら


やはり「う」に合わせる形が思い浮かびにくいですね。
それから、形容詞では「ない」と「なる」に対応する形が同じですが、形容動詞は異なります。気を付けてください、「きれいじゃない」は話し言葉です。「きれいでない」が正しいのです。また「きれいではない」は副助詞「は」がはさまっています。つまり「きれいで」+「は」+「ない」の3語ですので注意してください。

また非常に重要なことですが、動詞と形容詞は終止形と連体形の形が同じなのですが、形容動詞は異なります。ここをしっかり押さえてください。

活用の仕方と活用形を下に示します。再度確認してください。
形容動詞では、終止形と連体形の語尾が異なります。

形容動詞の活用と活用形

形容詞と形容動詞はそれ自体多くの論点のある品詞でありません。
まずは以上解説したことをしっかり押さえましょう。

 

もう一段上をいくなら、補助形容詞(形式形容詞)を習得しましょう。
動詞の学習の際、本来の意味を失って補助的・形式的な意味しか持たない動詞のことを補助動詞・形式動詞ということを学びました。

実は形容詞にも本来の意味を失い補助的・形式的な意味しか持たない形容詞が存在します。これを補助形容詞または形式形容詞といいます。

たとえば「ほしい」という形容詞を考えてみましょう。
「ほしい」を英語に訳せばwantという動詞になりますが、日本語では形容詞になります。動詞で表すとすれば「欲する」とすれば良いのですが、実生活ではほとんど用いられませんね。形容詞「ほしい」は「なにかを欲する状態」を表すのでしょう。
さて、この「ほしい」という形容詞ですが、「わたしはこの本が欲しい」という場合は本来の形容詞ですが、「わたしはこの本を買ってほしい」としたらどうですか?
本そのものが欲しいのではなく、買ってほしいのですね。
なので、後者の「ほしい」は本来の意味を失った補助形容詞(形式形容詞)です。
私は例文で敢えて本来の形容詞に漢字を当てて「欲しい」と書き、補助形容詞にはわざと平仮名で「ほしい」と書きました。
補助動詞を学習した際にも解説しましたが、補助形容詞に漢字は当てません。これは大人でもかなり間違って書いています。気を付けましょう。

 

最後に、なぜ日本語では形容詞と形容動詞を区別することにしたのでしょうか?
私の推測ですが、形容動詞の活用の仕方が形容詞のそれよりも複雑だからと考えられます。すなわち、
・連用形の語尾変化が3種類もある
・終止形と連体形の活用語尾が異なる
特に後者、すなわち「終止形と連体形の活用語尾が異なる」性質を有効に活用して品詞や活用形を判別できることがあるので、その有用性を強調してもし過ぎることはないでしょう。

今回の解説はここまでにします。

演習として、

① 形容詞「長い」と形容動詞「すてきだ」の活用表を作ってみましょう。

② 「ほしい」以外の補助形容詞にはどのようなものがあるか探してみましょう。

をお渡ししておきます。

 

今回の内容をYoutubeでも動画で解説しています。
こちらもぜひご覧ください。

・形容詞


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・形容動詞


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西山女流の将棋棋士編入試験で語られた米長哲学とは

女流棋士である西山朋佳女流三冠が公式戦で好成績を上げ、棋士編入試験に臨みました。表現がややこしくなりますが、女流棋士界と一般の棋士界は別ものであり、一般の棋士界に四段として認定された女性はこれまでいません。

過去に一度、里見香奈(現在は福間香奈)女流五冠が挑戦したことがありましたが、こちらは残念な結果(0-3のストレート負け)に終わりました。

西山女流は過去に将棋奨励会棋士になるための養成機関)に在籍したことがあり、最上位の三段リーグで次点を獲得した経験の持ち主です。棋士になるあと一歩のところまで行ったことのある方です。
ですので、今回の挑戦は大いに期待されていました。

さて、試験対局が始まると西山女流が第1局に勝って幸先の良いスタートを切ることができました。世間からの注目度も一気に上がり、大変なプレッシャーが受験する西山女流にも試験官を務める残り4人のプロ棋士にも重くのしかかりました。
後の方で対局する試験官のプレッシャーは言葉では表現しにくく、正直言って試験官を務めたい棋士はいないと思います。そしてこの編入試験は最後にドラマチックな結末を迎えることになりました。西山女流が第4局で強豪の宮嶋四段に勝利し、最終第5局ですべてが決することになったのです。

対戦相手は柵木(ませぎ)四段でフリークラスに在籍中の若手です。
世間は初の女性棋士誕生を期待する声に溢れ、試験官としては心穏やかに指せないところ。

このプロ棋士編入試験の試験官は直近に四段となったプロ棋士が順番に対局することに決まっており、拒否することができません。
対局料は支払われるものの多額ではなく、しかも公式戦としてカウントされません。
柵木四段は将棋奨励会三段リーグで次点を2回獲得してプロ棋士四段になった人で、公式戦にカウントされない上に対局料も大した額ではなく、世間からは「初の女性棋士誕生」を望む声に押されて、完全にアウェーの戦いを余儀なくされてしまいました。
意地悪く「柵木四段が勝っても何のメリットもない」「少しは西山女流の気持ちも汲んでやれ」という意見まで飛び出しました。

その時、将棋界で何度か囁かれたのが『米長哲学』。
柵木四段は完全アウェーの最終試験で、西山女流にプロになることの厳しさを示しました。
容赦ない厳しい指し回しは『米長哲学』を体現したものでした。

さてこの『米長哲学』ですが、いったい何者なのでしょうか?
私はへなちょこ将棋を指す者ですが、20代後半で人生に大いに悩んだ時、故米長邦雄永世棋聖が著した『運を育てる』に出会って道が啓けたのを思い出しました。
米長永世棋聖はタイトル獲得19期の偉大なる棋士ですが、名人を獲得したのは50歳目前の時でした。

なぜ将棋の指し盛りを過ぎた50歳目前の米長永世棋聖が7度目の挑戦で、これまで何度挑んでも超えられなかった中原誠十六世名人からタイトルを獲得できたのか?
そこには『運を育てる』という考えがあったというのです。

私は米長先生(敢えて先生と書きます)の本を読むまで、「運は自分ではどうにもできないから運だ。運はどう巡ってくるか誰にも分からないから運なのだ」と考えていました。ところが先生の本には「運は自分の行い次第で育てられる」と書いてありました。
ではどうやって育てるのか?
例え話を紹介しましょう。将棋の順位戦という一年間を通して行われるリーグ戦があります。A級をトップとして、順にB1、B2、C1、C2と5階級あり、A級にはトップの10棋士が在籍し、このリーグ戦で最高の成績を収めた者が名人に挑戦します。
勝負の世界は厳しいもので、A級順位戦も佳境に入ると名人挑戦を狙える位置の棋士、B1への降級の危機にある棋士、そして昇級にも降級にも関係のない棋士と3タイプに分かれてしまいます。
最終第9局は勝敗の操作ができぬよう一斉対局が行われますが、この「将棋界で一番長い日」にはいつもドラマがあります。だれが名人への挑戦権を獲得し、だれが下のクラスへと落ちていくのか、最終結果が出る日なのです。
そんなとき、昇級にも降級にも無関係な棋士と、名人挑戦ないしは降級の危機に瀕している棋士が対局すると、なんとも微妙な温度差が生じてしまいます。
その時、米長先生は「自分が昇級にも降級にも無関係で、相手にとっては重要な一局の時こそ全力で勝ちにいく」と語りました。
それこそが『米長哲学』であり、自分の運を育てることになる、と。

私だったら到底そんなことできない。どこかで気が緩んでしまう。下手すると相手に同情してしまいそうです。米長先生はそこを戒めた。
先生の書籍には順位戦の戦い方だけでなく、米長名人誕生のために自分の得意戦法「森下システム」を伝授した森下卓九段の話なども紹介されています。
一見すると自分にはなんらの得もないような時にこそ全力で向き合う、自分の持てるものを惜しみなく渡すということを先生の書籍から学びました。

今回の西山女流の編入試験最終局、柵木四段としては勝って褒められる・喜ばれることは少ないように思われました。多くの人は西山女流の初の一般棋士四段誕生に期待していましたから。将棋界の盛り上がりや話題性を考えれば、柵木四段が負けた方が短期的には利益が大きそうにも思えました。しかしそういう状況だったからこそ、たとえ公式戦扱いにならなくても、柵木四段は全力で勝ちにこだわったように見えました。
結果は柵木四段の完勝で今回の編入試験は幕を閉じました。

西山女流と彼女のファンにとっては残念な結果となってしまいましたが、対局後のインタビューで真っ先に「今回の試験を引き受けてくださった先生方に感謝したい」と言った西山女流のすばらしさに感動しました。
いずれまたチャンスを掴んで棋士四段を目指してほしいです。

一方の柵木四段は現在フリークラスの棋士で、10年以内に好成績を上げてこのクラスを脱出しなければ自動的に引退になってしまいます。

『米長哲学』の効果により運を引き上げたのか、現在も勝率は6割5分を超えており、このままの調子でいけばフリークラス脱出ができそうです。

私も米長先生の本を読んでから「手抜いてしまいそうな局面でこそ気を引き締めて精一杯ことに当たろう」と考えるようになりました。
私が先生の『運を育てる』『ふたたび 運を育てる』を読んだのは2000年頃。もう四半世紀も前のことなのだと知り驚いています。

米長先生は将棋の強さはもとより、文才も光る方で数多くの書籍を著わしています。
将棋をやらない方でも十分読んで楽しめます。良いものは時代を超えて読み継がれる。
よければ是非手に取ってみてください。