個人指導を通じて、これまで600人を超す生徒さんを指導してきましたが、今回は次の質問に答えようと思います。
「勉強することが大嫌いな子どもに無理やりでも家庭教師をつけたり、学習塾に通わせたりすることに意味があるのか?」
私は19歳で家庭教師を始めて以来、かれこれ20年以上レッスンをやっています。大手進学塾の専任講師として集団授業を担当していた経験もあります。
嫌々学習塾に通っていた生徒さんもたくさん見てきましたし、親は子どもが学ぶことに大変熱心なのに、当の子どもはちっともヤル気がない、というお子さんも見てきました。
さすがに指導歴も20年を超えると、個人レッスンや学習塾を卒業した生徒さんのその後の情報を集めることができます。
そして私が辿り着いた結論は、
良かれと思って無理やりに学習塾に通わせたり、家庭教師をつけたりしても、嫌がる子どもが勉強を好きになることはない
ということ。
とっても残念な書きぶりでショックを受けた方もいらっしゃるでしょう。
ちょっと話は逸れますが、みなさんはジェットコースターが好きですか?それとも嫌いですか?
世の中にはジェットコースターのスリルが大好きな人と、なんであんな怖いものにわざわざ金を払ってまで乗るのか?と嫌がる人の2種類います。
なぜでしょうか?
理由として考えられるのが、ジェットコースターに乗ることでいつ喜びを感じるかという点です。
ジェットコースターが好きな人は、走行中のスリルを楽しんでいるので、降りるとすぐに「また乗りたい!」という気持ちになります。これに対して、ジェットコースターを嫌がる人は走行中必死に恐怖と戦い、コースターを降りた時に「ああ、もう乗らなくていいんだ、良かった!」と喜びを感じるのです。
ジェットコースターに乗らない時に安堵感や喜びを感じるのですから、自分からは二度と進んで乗りたいという気持ちにならないのです。
この考え方が「無理やり勉強」にも当てはまると見ています。
学習塾で自分の知らないことを学べるのが楽しいと感じる子どもは、親がとやかく言わなくてもすんなり塾通いします。しかし、自分の意志に反して無理やり塾に通わされた子どもは、そもそも塾で学ぶことが苦痛だったので、それを卒業すると「もう二度と勉強しなくてすむ。ああ、良かった」となってしまう。
こうなったらもはや生涯にわたる大損失です。なぜなら、学ぶことを苦痛に感じる土壌が、しっかりできあがってしまったのですから。
親が子どものことを想って塾通いさせる気持ちは分かりますが、嫌々通った学習塾での学びを将来心の底から感謝する子どもはまずいない。
特に学習塾に通っていた当時、講義中に大騒ぎしたり馬鹿笑いしたりして授業をストップさせていた生徒さんは、残念ながらその後もほとんど学ばないで大きくなっています。「ビックリするほど大変身!今では進んで学ぶ子になりました!」なんてお子さんを私は見たことがありません。
こう言うと「大きくなってから勉強する子もいますよ」と反論されます。しかし、その子が必死に学んだのは自分の中で危機感を抱いたから、あるいは何かを実現するために学ぶ必要を感じたからであって、決して幼い頃無理やりにでも勉強させられた経験が生きたから、ではありません。
では学ぶのが大嫌いというお子さんをそのまま放置しておいて良いのでしょうか?
もちろん放置してはいけません。
ここからが大切です。
人間にとって座学が至上のものではありません。
おとなしく塾に通い、授業を聞くことや問題を解くことに文句を言わず、重要なことはノートに書き留め、実力判定テストも淡々とこなす子どもに生まれれば手も掛からず安心ですが、そのような子どもに我が子が生まれなかったことを悲観してはいけません。
その子が楽しいと思えるもの、他のことはさておき、そのことになると無我夢中になって取り組めるものを一緒になって見つけることが大切です。
親に言われるまま名門高校に進学したけれど、「自分は絵を描くのが好き。だから美大に行く」と決意して普通の大学に進むのを取りやめ。高校3年生になっていきなり進路変更し、学年でただ一人美大を受験して見事合格。現在画家として活躍している教え子がいます。
塾通いしていた頃、休み時間になるとノートに絵を描いていて、熱中するあまり授業が再開したことを忘れてしまうような生徒さんでした。
彼から直接話を聞きましたが、進学校での勉強漬けの毎日の中で、ふと「こういうことがしたいんじゃない。このままでは自分のやりたいことができない」と感じたそうです。彼には「絵を描きたい」という強い気持ちがありました。そして両親を説得し、美大を卒業した後画家になりました。
本当の教育とは、嫌がる子どもを無理やり塾に通わせることではないと思います。
子どもが夢中になって取り組むものを、親も一緒になって見つけることが大切だと思います。
子どもが何に興味を抱き、どんなことなら夢中になって取り組むのかを探し出すことは容易ではありません。
私は小学生の頃、浮世絵が大好きで朝から美術図鑑を飽かず眺めている変わった子でした。そんなある日、父親が「お前は何が面白くてそんな絵ばかり見ているんだ。さぁ、さっさと学校に行く支度をしなさい」と言ったものの、週末わざわざ熱海にあるMOA美術館に連れていってくれました。
父親は美術鑑賞にまったく興味のない人で、なぜそこまでして美術館に連れていってくれたのか?いまだに不明です(笑)
しかし、53歳になった今でも私の記憶にこの思い出は深く刻まれており、だからゆえに今、美大の学生をしているのです。
私は残念ながら画家になる道を見つけられず普通のサラリーマンになってしまいましたが、父親のあの時のアクションに感謝しています。
もしもお子さんが学習塾に通ったり、家庭教師についたりすることを必死になって抵抗するなら、ぜひその子の想いに耳を傾けてみましょう。
もしかすると、ほかに取り組みたいものがあるのかもしれませんよ。
漠然と嫌がるなら、無理に説得するのではなく、興味を抱くかもしれないものを探す旅をしましょう。
個人レッスンを長くやっている私が言うのもなんですが、
座学がすべてではない
と思っています。